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恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

化石の日なのでみんなで骨格図を描いてみるコーナー

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↑Skeletal reconstruction of Tarbosaurus bataar MPC-D 107/2. Scale bar is 1m.

 

 10月15日は「化石の日」である。特別用意しておいたネタがあるわけではないのだが、乗るべきものには乗っておく主義の筆者ではある。

 

 古生物の復元画が化石のなんかしらの普及に極めて大きな役割を担っていることは言うまでもないし、筆者とてそれでごはんと酒代(あと国民健康保険とかいろいろ)を捻出しなくてはいけない立場の人間である。化石を見てそこから復元画を描くことができる人材は依然として貴重ではあり、それができれば何かしらの即戦力でさえあろう。

 化石から直接、ではなくとも、ワンクッション置いて復元画の参考資料に骨格図を見やがれ的なムーブメントは、ポールの登場以後わりあいに市民権を得た――が、骨格図はピンキリでもあり(ポールのものでさえも)、骨格図の制作過程を知っておくというのは割と(自分が何を参考にすべきかというところも含めて)有意義なはずである。サイエンスイラストレーションであれば過程がわかれば再現性も付いて回ってもよさそうなものだが、実際にはそうではないというのもこのあたりの過程を見ればわかることで、というわけで筆者のケースを適当に紹介しておきたい。

 

◆タルボサウルス・バタールの骨格図を描く◆

標本を選定する

 タルボサウルスと一口に言っても色々な標本が知られているし、とりあえず大人っぽいサイズ(実際はそうでもなさそうでもあるのだが)で全身が比較的よく見つかっているらしい骨格もそれなりに数がある。かはく神流町恐竜センターでおなじみのタルボサウルス・“エフレモヴィ”の骨格はそれなりに記載されているはず…だが入手が困難という事情がある。

 従って、タルボサウルスの大人の骨格図を描く場合、基本的には写真から描き起こす羽目になるのだが、かはくや神流町恐竜センターに展示されている骨格のオリジナルの内訳ははっきりしない(消去法でPIN 551-4のようだ;よりによって特に図示されていないらしい標本である)。おそらくはT. “エフレモヴィ”のホロタイプであるPIN 551-2だが、それと同サイズのPIN 551-3、あるいはそれらのコンポジットの可能性もある。(PIN 551-2はこちらで間違いないようだ: ;PIN 551-4(?)と展示場所が入れ替えられている)であればこれの写真から描き起こすのは避けたほうが無難でもある(PIN 551-2の部分頭骨に基づく復元頭骨模型を使いまわしているようであるが、PIN 551-3の頭骨とはかけ離れた代物でもある。PIN 551-2の頭蓋はどうもばらけて産出したようである)。

 

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↑2013年に科博で展示された際のMPC-D 107/2。座骨以外の腰帯(と仙椎)が完全に模型であることがよくわかる。出ていない分の胴椎は特に補われておらず、胴体が実際よりもだいぶ短い状態で組み立てられている。

 

 こうした事情を踏まえると、実物のマウントが複数回来日したことがあり、かつキャストのマウントが岡山理科大福井県立恐竜博物館で常設展示されている(頭蓋だけなら北大総合博物館等でも見られる)MPC-D 107/2が骨格図(だけに留まらない)の参考には最適と言えるだろう。頭蓋の変形がひどく、また椎骨列に重大な欠損があったりするのだが、全体としてほぼ完全で、保存状態もまずまずといったところである。

 MPC-D 107/2は1984年に採集されているのだが、今日に至るまで記載はほとんど行われておらず、(ひどく変形した)頭蓋と大腿骨の計測値があるのみである。ゆえに本標本の骨格図を描く上ではプロポーションも全て写真判読に頼らざるを得ず(どうしようもない場合はサイズの近しい標本から比例計算ですり合わせるほかない)、そのあたりも踏まえた資料写真が必要となる。

 

頭蓋の変形を読み解く

 上記の通り本標本の頭蓋は悲惨な保存状態である(が、ホロタイプに次ぐ大型個体の頭骨はこれくらいしかまともなものがない)。変形の状況を把握して、作画はそれからである。

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↑頭蓋天井の破損がひどく、後頭部が上方・上部後方から押しつぶされている。頬骨は内側へ向かって倒れ込んでいる。

 

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↑左側に比べるとだいぶマシに見えるが、眼窩のあたりを中心に、吻も後頭部も上方へ向かって押し曲げられている。眼窩の後縁も内側に向かって押し込まれた状態である。下顎の右半分は変形もほぼ見られないようだ。

 

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↑正面から見ると、頭蓋の左右方向への歪みがよくわかる。一方で正中面はきれいに通っており、正中面/線を軸として、どうにか変形を補正してやることはできそうだ。

 

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↑頭蓋の変形をどうやれば三次元的に補正できるか、3Dモデルのイメージを脳内に描きつつ撮影するのが肝要である。本標本の場合、上顎骨はこのくらいのアングルが本来の「真横」に近いはずだ。

 

頭蓋をどうにかする

 あくまでも二次元の骨格図を描くので、側面から見て破綻がなければ変形の補正は最低限クリアしたといえる。「真横」を狙って撮影した写真資料を切り刻みつつ、三次元的にもっとずっとよく保存されている近縁種(この場合ティラノサウルスをおいて他にない)を参考にうまくつなげていく。

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Photoshop(筆者は貧乏なのでelements愛用)で作成したコラージュから「使える」ラインをトレースし、その他の資料写真やらなんやらから拾い出したディテールを載せていく。コラージュの下敷きには「大きすぎない大人」のティラノサウルスで、かつ頭蓋の変形が小さいAMNH 5027を用いている。

 

椎骨をきちんと並べる

 上述の通り、本標本の胴椎はいくつか失われており、また尾椎も後半1/3は失われているようである(血道弓もオリジナルマウントに据えられているのはあからさまに模型であり、とりあえず未発見のようだ)。

 福井県立恐竜博物館のマウント(オリジナルマウントと同様、胴椎がいくつか抜けたままである)は前半身をほぼ真横から撮影可能である。岡山理科大のマウントは(筆者が訪ねた時点では)全景を(引きで)真横から撮ることはできなかったが、尾を除けば近接して真横から撮影でき、尾にしても近接撮影は可能であった。

 

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↑映えも何もない写真だが、仙前椎の全容は見て取れる。目的意識が大事ではあろう。

 

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↑岡山理科大のマウントは仙前椎の数は実際に合わせてある(と見せかけて前環椎めいた謎の物体が入っていたりもする)のだが、欠損部は前後(と推測される)の椎骨のコピペである。このあたりに注意しつつ、ティラノサウルスの記載とにらめっこである。

 

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↑AMNH 5027の仙前椎~腰帯でアタリを取りつつ、資料写真に基づきどんどん描き込んでいく。×印が付いているのは筆者が未発見と判断した胴椎である。腸骨と恥骨はPIN 551-2を参考にしたアーティファクトである。

 

長骨の比率をなんとかする

 写真から骨格図を描き起こす場合、最も注意すべきが四肢のバランスというか長骨の比率である。ポール式骨格図が(生息時の状態からあえて崩して)長骨を正中面と平行に立てて(つまり前方から見ると地面に対して垂直に)描くのに対し、復元骨格では(本来の生息姿勢に即しているかはさておき、支持構造の許す範囲で)四肢を「それっぽく」曲げて組み立てられる。従って、資料写真の撮影や、それに基づく作画の際にはそのあたりに留意しなくてはならない。

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↑幸いというかなんというか、岡山理科大のマウントの後肢はほぼ垂直であった(本来、少なくとも歩行中の姿勢はこうではない)。肩帯と前肢の長さだけなんとかしてやれば、骨格図はもう描きあがったも同然である。

 

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↑脛骨は内側面もきちんと撮影しておくと後が楽である。外側面からだと膝頭の形態は案外読みにくい。

 

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↑「真横」を狙い撃ちするのはもちろんとして、色々なアングルから撮らないと寸法を割り出せない場合はしばしばある。前肢(のうち上腕骨)とそれ以外の要素の比率は実測しない限りどうしようもなかったので、PIN 551-2の比率に従うこととした。

 

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 というような過程を延々経て完成したのが↑の図である。マウントの「真横」写真とはずいぶん印象が異なるようにも見えるが、化石(やそのレプリカ)についてまわる様々な制約を取っ払って(ついでにポール式のフォーマットに則って)描き下したに過ぎない。監修のきちんとつく骨格図であってもやることは(自分で資料写真を撮りに行かない/行けない案件でも)何も変わらず、ここぞという時に監修者からの天の声なり未出版資料なりに救われるだけでもある。

 

 化石を描く、ひいては化石生物を描くということは、そのまま化石と向かい合う行為に他ならない。向かい合えば向かい合っただけ見えてくるものがあるし、それだけ堂々巡りの泥沼にもはまっていく。それがどうしようもなく好きだった筆者は、結局化石とにらめっこして日銭を稼ぐ道を選んでしまった。

 あくまでも復元画は復元画に過ぎず、何の復元画かといえば化石の復元画である。復元画の向こうに化石を見透かせるだろうか。復元画なしに化石と向かい合えるだろうか。筆者は粛々と(たまに鼻歌交じりで)化石とにらめっこをするだけである。