GET AWAY TRIKE !

恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

鮫歯の竜の国

↑Skeletal reconstruction of Meraxes gigas holotype MMCh-PV 65.
Scale bar is 1m.

 

 カルカロドントサウルス類は(超)大型獣脚類としておなじみのグループ――になったのは90年代半ば以降、ギガノトサウルスの記載と直後に続いたカルカロドントサウルス・サハリクスのネオタイプの記載および系統解析が行われてからの話である。それまでの状況といえば、カルカロドントサウルスは実質的にシュトローマーの論文の図のみから知られている状態であり(ホロタイプはシュトローマーの調査とは無関係のアルジェリア産の2本の歯に過ぎず、言うまでもなく現存していない)、アクロカントサウルスもいくつかの部分骨格が知られるのみで復元はおろか分類もおぼつかないままであった。そもそも実態の伴ったグループとは認識されていなかったのである。

 90年代半ば以降、カルカロドントサウルスを取り巻く状況は劇的に変わった――のは間違いないのだが、しかし依然としてお寒い状況が続いていた。ネオタイプの指定によってオリジナルの分類群とは事実上別物として生まれ変わった(シュトローマーの記載した部分骨格はネオタイプと同じ分類群とみて間違いないだろうが)カルカロドントサウルス・サハリクスはなおネオタイプ以上の標本は発見されず、ギガノトサウルスに至っては骨学的記載が事実上ほとんどなされないまま30年近くが過ぎている。アクロカントサウルスはほぼ完全な頭骨を含む部分骨格が発見され、これに基づく復元骨格が世界中にあふれている――のはよいとして、商業標本という出自もあってその実態はだいぶ不明瞭でもある。ラス・ホヤスで発見された見事な骨格はコンカヴェナトルとして記載され、詳細な骨学的記載も出版された――が、これは絶妙に頭骨が粉砕されており、白亜紀後期初頭のものとは時代的にも形態的にも小さくないギャップがあるように思われた。当初ギガノトサウルスの新標本とも目されたマプサウルスのボーンベッドは様々な情報をもたらしたが、とはいえボーンベッドゆえに全体像の見えるものではなかったのである(復元骨格の出来が伝説的だという話は些末事ですらない)。

 

 とはいえパタゴニア――ギガノトサウルスやマプサウルス、ティラノティタンといった数々のカルカロドントサウルス類を産出してきた――での調査は盛んにおこなわれており、果たしてカンパーナ渓谷に広がる赤茶けたフインクルHuincul層はその期待に応えたのであった。ギガノトサウルスと比べればいささか小さいが、カルカロドントサウルスの本場たる南半球では初めて胸を張って「保存がよい」と言える部分骨格が姿を現したのである。

 この“カンパーナのカルカロドントサウルス類”はアクロカントサウルス以来となるほぼ完全な頭蓋が保存されており、前後肢や肩帯、腰帯も完全と言っていい状態であった。仙前椎はひどく風化していたが、尾椎は付け根から中ほどまで完全な状態であった。南半球でこれほどまとまった1体分の骨格が発見されたのはギガノトサウルス以来のことであったし、保存状態は比べ物にならないほどこちらが良好であった。

 分類学的記載に先駆けて骨組織学的な研究に供されたりもした(割合に壮絶な結果が出た)が、かくして“カンパーナのカルカロドントサウルス類”MMCh-PV 65はメラクセス・ギガスMeraxes gigas命名され、セノマニアンのカルカロドントサウルス類のなんたるかが初めて示されたのである。

 

(すでにメディアで広く取り上げられてもいるが、属名はゲーム・オブ・スローンズの原作に登場するドラゴンにちなんでいる。ファンタジーと言えばファイティング・ファンタジーだったり富士見ドラゴンブックと言えばバトルテックでグレイ・デス軍団だった筆者なので手癖でメカ絵を描くと80年代末~90年代初頭の河森絵もどきになるという話はここではしない。俗っぽい筆者なので日本語版のメックのデザインはやはりフェニックスホークが一番好きである。ロイヤル仕様の見てくれがおそらくストライクバルキリーという話もここではしないでおく。)

 

 

↑カルカロドントサウルス科の骨格。

上からギガノトサウルス・カロリニイ(ホロタイプMUCPv-Ch1)、メラクセス・ギガス(ホロタイプMMCh-PV 65)、カルカロドントサウルス・サハリクス(ネオタイプUCRC PV12)、アクロカントサウルス・アトケンシス(コンポジット;スケールはフランことNCSM 14345に基づく)、コンカヴェナトル・コルコヴァトゥス(ホロタイプMCCM-LH 6666)。スケールバーは1m。

ギガノトサウルス、アクロカントサウルスの腰帯のアーティファクトはおそらく不適切である。ギガノトサウルスの肩帯・前肢のアーティファクトがアクロカントサウルスに基づいている点にも注意。

 

 メラクセスの頭骨はカルカロドントサウルスとギガノトサウルスを足して2で割ったような作りで、涙骨の突起が目立つあたりは(カルカロドントサウルス類としては)珍しいが、その他にこれと言って特筆すべきものはない。肩甲骨はアクロカントサウルスのひょろりとしたものとは異なり、むしろブレードは相応の長さである。前肢の基本的なつくりはアクロカントサウルスやコンカヴェナトルと同様――なのだが、アクロカントサウルスのそれよりもさらに短く、手は(頑なに3本指は保持しつつも)おどろくほどの退縮ぶりであった。そして腰帯は、これまで復元されてきた大型カルカロドントサウルス類のそれとは全く異なった形態――コンカヴェナトルや「クリプトプスの腰帯」すなわち中型の比較的基盤的なカルカロドントサウルス類とよく似た形態であった。足は既知のカルカロドントサウルス類としては最も完全なもので、基本的なつくりはこれまでに報告されたものと特に変わりはなかった――が、やはり末節骨は特筆すべきものであった。第II趾の末節骨(カルカロドントサウルス類ではこれまで知られていなかった)が最も大きいのは獣脚類のボディープランの基本であったが、それにしても異様に長かった(単に長いだけであり、それ以上に特筆すべき特徴はなかった)のである。

 

 依然としてメラクセスのホロタイプは部分骨格に過ぎず、まして他のカルカロドントサウルス類はもっと部分的か、あるいは未記載のままである。とはいえメラクセスで初めて確認された数々の特徴は、少なからず他のカルカロドントサウルス類でも見られた可能性がある。

 メラクセスが産出したのはフインクル層の下部にあたり、ギガノトサウルス(フインクル層の下位にあたるカンデレロスCandeleros層産)とマプサウルス(フインクル層の中部産)との時代的なギャップを埋める格好となる。一方で、系統解析の結果メラクセスはより基盤的な位置――カルカロドントサウルスとティラノティタン-ギガノトサウルス+マプサウルスとの間(ギガノトサウルス族Giganotosauriniの最基盤)に置かれたのである。未記載とはいえ種々の写真からうかがえるギガノトサウルスの頸椎(列)とメラクセスの単離前方頸椎とでは長さに明らかな違いがあり、両者で少なからず体型に差があったことも確かだろう。このあたり、複数系統のカルカロドントサウルス類が白亜紀“中期”の南米でのさばっていた格好となる。

 

 かくしてメラクセスの発見により、カルカロドントサウルス類――脚光を浴びて以来30年でわかった気になっていたグループの思いがけない特徴が白日の下にさらされたわけである。異様に退縮した手、妙にきゃしゃな腰帯、やけくそ気味の長さになった第II趾の末節骨といった特徴が他のカルカロドントサウルス類に見いだせるかどうかは今後の発見次第でもあるが、とはいえこの30年弱でやり残されていたことはあまりにも多い。ギガノトサウルスのホロタイプはひなびた展示室の床にその身を横たえ、ずっと来訪者を待ち続けているのだ。

LALAガーデンつくば店でトークイベントが開催されます

 先日発売された『新・恐竜骨格図集』の刊行を記念するイベントが、7/24(日)にLALAガーデンつくば店にて開催されます。企画にもがっつり関与いただいたイラストレーターのツク之助さんとの恐竜トークと、ツク之助さんの絵本おはなし会&骨格図ぬりえを使った缶バッジづくりの2本立てとなっています。

 詳細はリンク先をお読みください。第1部、第2部とも参加費は無料ですが、第1部は人数制限(25名)と電話での申し込みが必要です。ふるってご参加ください。

伊弉諾物質

↑Skeletal reconstruction of Kamuysaurus japonicus HMG-1219 (holotype) and Yamatosaurus izanagii MNHAH D1-033516 (holotype). Scale bar is 1m.

 日本列島の形成以前――ユーラシア大陸の東縁をなしていた時代、河川を通じて運搬された様々な堆積物が、海底に横たわる種々の堆積盆を埋めていった。こうして生まれた日本の白亜紀の海成層にあって尋常ならざる規模を誇るのが、中央構造線に沿って愛媛から大阪まで300kmにわたって伸びる和泉層群である。カンパニアン中期からマーストリヒチアン後期の中ごろまで、1000万年もかからずに堆積した総層厚60km(地域ごとに時代がずれていくのでひとつところでそこまで堆積しているわけではないのだが)に達する海成層(ごくわずかに陸成や浅海の要素を含むが、基本的には比較的深い海の堆積物である)であり、大量のアンモナイト二枚貝、巻貝、甲殻類に加えて、今日では様々な爬虫類化石――わずかではあるが恐竜も含む――や、果ては鳥類(ヘスペロルニス類)の産出も知られている。
 和泉層群は西から東へ向かって時代が新しくなっていき、岩相の特徴から、露出域の北から順に北縁相(礫岩や泥岩が主体)、主部相(礫岩、砂岩、泥岩の互層からなる)、南部相(礫質の堆積物が目立つ)の3つに大別される。主部相が陸からやや離れた(大陸棚の外側)海底扇状地の堆積物と解釈される一方、北縁相は主部相よりも陸側(北側)の、もう少し浅い海底(ごく一部で浅海~汽水域)で堆積したものとして伝統的に解釈されている。


 和泉層群における化石の発掘・研究は19世紀の末にはすでに始まっており、20世紀に入ると異常巻アンモナイトをはじめとする大型の軟体動物が続々と命名されていった。和泉層群から切り出した石材や砂利は近辺でよく用いられており、採石場にアマチュア採集家が出入りするようになると、和泉層群は蝦夷層群――ちょうどカンパニアン中期からマーストリヒチアン(主に函淵層)にかけて、堆積環境の問題でアンモナイトの産出が一気に減少する――と並ぶ、極めて重要な地層となっていったのである。
 中でも淡路島――南部はそっくりそのまま和泉層群でできている――は和泉層群の露出域の中でも化石の採集が盛んに行われており、数々の“アワジエンシス”や“アワジエンゼ”を輩出していた。特にカンパニアンの最上部は蝦夷層群の化石記録が絶妙に貧弱であるため、日本における上部白亜系の生層序のうち、上部カンパニアン上部(実際には中部カンパニアンも含んでいた)――K6a4を決定付けるのは全て淡路島のアンモナイトやイノセラムス蝦夷層群や那珂湊層群でも採れるには採れるが)といった有様だった。
 淡路島の和泉層群のうち、露出域でもっとも広範にわたっているのが北阿万層である。ここでは戦前の調査(一帯はとっくに由良要塞の一部となっていたが、東京帝大の学生が軍籍持ちだったため、調査許可が下りた)で、カグラザメ類の歯(ノティダヌNotidanus属(カグラザメHexanchus属のシノニム)の新種N. japonicusとされたが、東大博のデータベースには記録がないようで、あるいは行方不明になっている可能性がある)やカメ類(バシレミスBasilemys sp.とされている)、そして翼竜の第4中手骨(もともと異常巻きアンモナイト――バキュリテス・cf.ヴァギナBaculites cf. vaginaとされていた)が産出しており、古くから和泉層群で陸生を含む脊椎動物化石が産出することが知られていた。90年代に入るとモササウルス類やウミガメ類――メソダーモケリス――の発見も続き、日本のカンパニアン-マーストリヒチアンにおける海成脊椎動物の記録を積み上げていくこととなったのである。


 脊椎動物化石の「大物」の発見が2004年に重なった。口火を切ったのは翼竜――まぎれもないアズダルコ類――の頸椎で、公園の片隅に積まれていた工事残土の中から姿を現した。この公園(とその脇の本州四国連絡道路)の整備で削られたのは和泉層群の西淡層、さらに言えば上部のパキディスカス・アワジエンシスPachydiscus awajiensis(カンパニアン末)であり、産出部位からして分類に文句のつけようもない、貴重な発見であった。
 これに続き、淡路島の西海岸の採石場――北阿万層上部が露出していた――で発見されたのが、和泉層群で初めてとなる恐竜の化石――のちのヤマトサウルスの歯骨とそれに続く骨格の断片であった。

 化石はしばらくの間個人蔵ではあった(が、ひとはくで展示されることもしばしばだったようだ)ものの、予察的な研究はサクサク進み、2005年の夏には日本古生物学会で、秋にはSVPで「ランベオサウルス類」として報告されるに至った。
 この標本のデンタルバッテリーは脱落することなくそっくり保存されており、その他の要素についても保存状態は非常に良好で、わりあい急速に埋積されたらしいことがうかがわれた(このあたり、定置されてから完全に埋積されるまでかなり時間がかかったらしいカムイサウルスとは対照的である)。母岩(泥岩である)には骨と共に魚鱗や二枚貝、そして大量の広葉樹の葉――こちらも保存は良好だった――がごちゃまぜになっており、陸からほど遠くない場所で木の葉もろとも(すでに半ばばらけていた)死体が埋積されたらしいことを示唆していた。

 

(北阿万層は先述の北縁相に属し、陸から極端には遠くなく、ほどほどの深さのある場所――大陸棚の堆積物として伝統的に解釈されてきた。ヤマトサウルスの原記載ではタフォノミーに関する特別な議論は何もなされていないのだが、図では、ヤマトサウルスが混濁流によって大陸棚の外まで押し流され、混濁流の「端」すなわち泥質の堆積物(海底扇状地の末端をなす)に埋もれたというざっくりしたシナリオが描かれている。海辺で朽ちかけていた(すでに一度埋積されていたかもしれない)死体が混濁流で木の葉やらとともに押し流されたというのはありそうな話であるが、大陸棚の中(大陸棚の「外」は主部相の堆積場と一般に見なされている)で完結していたように思われる。なんにせよ、タフォノミーひいては堆積環境に関する詳しい研究が必要だろう。)

 

 予察的な報告をもってこの標本を取り巻く状況は静かになったかに見えたが、それも北海道の同時代層――蝦夷層群函淵層からハドロサウルス類の全身骨格が確認されるまでのことだった。2014年にこの標本はひとはくへ寄贈され、やがて「むかわ竜」と共に再研究が進められているという話がぽつぽつ聞かれるようになったのである。

 

(函淵層のIVbユニットと北阿万層の上部では、共に比較的小型の異常巻アンモナイト――ノストセラス・ヘトナイエンゼNostoceras hetonaienseが産出する。もともと穂別の函淵層IVbユニットで知られていた種であるが、のちに大阪の和泉層群六尾層の畔谷泥岩部層下部から、そして北阿万層上部――ヤマトサウルスの発見された問題の一帯からもまとまった数が産出するようになり、これらの地層の対比が可能となったのである。このノストセラス・ヘトナイエンゼ帯はマーストリヒチアンの最下部に位置付けられており、生層序的に重要である。)

 

 華々しく喧伝されたカムイサウルスの裏で、ひっそりとこの「ランベオサウルス類」――MNHAH D1-033516の研究は進み、思いがけない様々な特徴が新たに確認されるに至った。
 予察的な研究でランベオサウルス類とされた根拠となっていたのは歯骨や歯の形態であったが、詳細な観察の結果、歯に妙な特徴――どうも機能歯が一段しか存在しない部分列がちょこちょこ存在する――が確認された。ハドロサウルス科の下顎のデンタルバッテリーといえば、もっぱら「三段構え」が基本なのだが、この標本では確認された34列ぶんのデンタルバッテリーのうち、歯列の中ほど(分散してはいる)の7列が一段しか機能歯が存在せず、ほかも二段しかないという状態であった。これはエオランビアより基盤的なもので一般にみられる特徴であり、一方で歯骨そのものの形態は様々な進化段階のハドロサウロイドの特徴が混在していたのである。烏口骨の形態はギルモアオサウルスにみられるような、つるりとした原始的なタイプであった。
 系統解析の結果、この標本はハドロサウルス科の基盤――ハドロサウルスの「次」のポジション(サウロロフス亜科+ランベオサウルス亜科の姉妹群)におさまった。もはやランベオサウルス類ではないことは確実といえたが、明らかなマーストリヒチアンの初頭和泉層群では古地磁気層序が確立されており、淡路島におけるノストセラス・ヘトナイエンゼの産出層準はC32.1rと対比されている)にあって、ハドロサウルス科でありながらこれほど原始的らしいものが、よりにもよってアジアにいたという衝撃は大きい。この恐竜はその産地と、ハドロサウルス科の起源に近いらしい点とのダブルミーニング――淡路島は国生みで最初に誕生した古事記にもそう書かれている)――で、ヤマトサウルス・イザナギイYamatosaurus izanagiiの学名が与えられたのであった。

 
 タニウスなど、カンパニアン後期の中ほどから後半にかけて、東アジアの比較的沿岸部近くでは時代の割に妙に古いタイプのハドロサウルス類(広義)が生息していたことが知られている。最下部マーストリヒチアンからのヤマトサウルスの発見はこうした状況に輪をかけるものであり、当時の東アジアがアパラチアやヨーロッパと同様、広義のハドロサウルス類にとってなにかしらのレフュジアとして機能していた可能性を示唆している。
 あるいは、ハドロサウルス類の進化において、ある種時代の最先端を突っ走っていたのはララミディアだけというのがより適切な表現なのかもしれない。例えば北のカムイサウルスと南のヤマトサウルスといったように、レフュジア的な地域の中にあっても進化型と原始的なもののすみ分けの可能性を考えることもできるが、一方で、原始的なランベオサウルス類であるチンタオサウルスと同じ紅土崖の上部(金崗口Jingangkou層とされていたが、タニウスの産出層である下位の将軍頂Jiangjunding層ともども紅土崖層に一括された。チンタオサウルスの産出層準はざっと7400万年前ごろと考えられる)からはライヤンゴサウルスのような比較的進化型のもの(やクリトサウルス類が知られている例もあり(タニウスに至ってはシャントゥンゴサウルスとほぼ同時代の可能性がある)、すみ分けていたというよりはむしろ何かしらの食べわけが成立していたということなのかもしれない。
 ヤマトサウルスのホロタイプは貴重な部分骨格ではあるが、突っ込んだ議論を行うにはあまりに断片的でもある(カムイサウルスがいかに特異的かという話でもある)。それでも、カムイサウルスと同時代の東アジア沿岸部に(カムイサウルスとは現状で地理的に離れる格好だが)原始的なハドロサウルス類が存在したのは確かである。
 マーストリヒチアンの初頭――ヘトナイ世(国際層序との対比が進んだ結果、日本のローカル層序はその役目を終えつつある)のはじまりにあって、中新世の「国生み」まで程遠い日本にはどんな光景が広がっていたのだろう。茨城の那珂湊層群、鹿児島の姫浦層群――すでに推定長1.2mに達する大型のハドロサウルス類の大腿骨が発見されている――と、陸の要素を含む最下部マーストリヒチアンは蝦夷層群や和泉層群の他にも点在する。日本における最下部マーストリヒチアンの地層の調査が始まって優に100年が過ぎているが、やるべきことはまだいくらでもある。

 

 

あゆのかぜ

 とっくに春であり、部分的にはすでに夏である。筆者はこの季節が一番好きらしいというのはどうでもいい話で、かれこれ丸2年になる刊行計画は最後のヤマを迎えつつある。

 

 筆者がポールの骨格図を初めて見たのは相当に昔の話になるが、初めてポールの本――恐竜骨格図集ときちんと向かい合ったのは中学生のころ(やはり相当に昔である)になる。図書室ではなく談話コーナーに半ば打ち捨てられていたそれのカバーはとうの昔に失われており、表紙がもげかけている代物でさえあった。とはいえ中学生の心に「全盛期の」グレゴリー・ポールの語り口はよく刺さるものであり、この時期石粉粘土(ファンドではなくラドール派だった)の味を覚えた筆者は、90年代から続く伝統的な手法――骨格図を切り刻んで模型の芯にするやり方に手を出したのである。

 高校生になり、英語でググるという賢しいだけの子供になった筆者は、適当な地域の恐竜相の面子を統一スケールの模型で揃えるという大それた野望を抱くようになっていた。高校の図書館には美品の恐竜骨格図集が入っており、とりあえず目ぼしいページをコピーした筆者であったが、ここで(トリケラトプスの添え物という関係上)テスケロサウルスの骨格図をどうにかして調達する必要に駆られた。「キロステノテスの骨格図」――まだアンズーが命名される前の話である――はスコット・ハートマンのものがいくらでも見つかったが、テスケロサウルスのそれはゴジラ立ちのもの――原記載の図であったということに気付くのはまだしばらく先である――しか見当たらず、そしてそれはあからさまに頭骨が未発見の時代に描かれたものであった。かくして筆者は覚悟を決め、(画像加工ソフトの持ち合わせも何もなかったので)プリントしたゴジラ立ちの骨格図を少しずつ回転させながらトレースし、頭骨(といくらかの頸椎)を描き足してから(ミリペンすら持っていなかったので)ボールペンで清書した。かれこれ13年前の話である。

 

 さて、ポールの骨格図は、登場した当時――恐竜ルネッサンスの激しい熱の中にあった80年代後半にあってさえ、驚くほど過激であった。グラフィカルな主張が強いとはいえ描画手法そのものはガルトンやラッセルによる伝統的な骨格の模式(的かつ正確な)図とバッカーによる黒塗りシルエットの組み合わせでしかなかったのだが、近縁種に対する徹底的な注意と大胆な「素材」の組み合わせは本職の研究者をうろたえさせるのに十分だったのである。コルバートによる相当にアバウトな図しか出回っていなかった当時にあって、ポールによるコエロフィシスの形態の「予言」――ポールは“シンタルスス”をもってコエロフィシスの骨格を徹底的に補完した――は、コエロフィシスのクリーニングにあたっていたプレパレーターを驚愕させたというのだが、これこそがポールの骨格図をロックンロールたらしめるところであった。大胆に過ぎることもしょっちゅうだった(「ポール式分類」には多少なりとも先見性が含まれていた部分もあったが、ともあれ本職から歓迎されることはほとんどなかった)が、それでもポールのロックは研究者たちを震わすに十分だったのである。

 

 The Princeton field guide to dinosaurs――海外でも何年かぶりとなるポールの新刊が発売されたのは、筆者が恐竜骨格図集の目ぼしいページをコピーしてからさほど間を置かずしてのことであった。果たして恐竜骨格図集(そもそも原語版は発売されておらず、ジュラシック・パークに浮かれていた中にあっても当時の日本の恐竜ブームの異常過熱ぶりがうかがえる)の増補改訂版のようなものを想像していた(ついでによくわからず出版社違いのUK版も一緒に買った)筆者は少なからず衝撃を受けた――連発される「ポール式分類」、つまり100%濃縮還元のポールの本と向かい合うのはこれが初めてだったのである(肉食恐竜事典を買うのはもう少し後の話だった)。

 とはいえ「ポール式分類」のなんたるかは上述の通りよく語られていた話でもあった。筆者をわりあいに打ちのめしたのは骨格図そのもの――ポールの命たるそれだったのである。恐竜骨格図集、あるいはそれ以前からポールの代表作として知られていた作品と、明らかにここ数年(=2000年代)で描かれたものとであからさまに出来が違っていたのだった。新鮮さあるいはハングリーさのようなものが後者にないのは当然としても、老獪さのようなもの――長年のキャリアで熟成されるであろうものさえそこには何もなかったのである。

 ポールの奏でるロック――研究者にすら再考を突きつける骨格図――に惹かれた筆者だったが、その時にはすでにそれは過去のものになっていたらしかった。ロックは死んだのである。

 

 第2版はなおのことロックの死のなんたるかを突きつける本であった。初版に残っていた往年の輝きは少なからず削除され、わりあいに無惨な「新バージョン」へ差し替えられていたのである。とはいえ依然としてこの本は骨格図付きの恐竜の本としては(今日でも)もっとも網羅的なものであった。そこの歯がゆさのようなものは散々に書いてきた通りでもあるし、ましてその邦訳を福井県立恐竜博物館のスタッフが、となれば(邦訳の関係者の責では全くないのは言うまでもないが)なおのことである。

 2000年代に入るとポールのほかにも様々な「ポール式」骨格図が現れるようになっていた。先に挙げたハートマンなどはその筆頭ではあったのだが、それらの骨格図は結局のところ「ポール式」ではなかった。ロックを奏でるうえでの約束事――肉食恐竜事典や恐竜骨格図集に注記されている――は、そうしたポールのフォロワーたちや、当のポール本人にさえ守られることはなく、かくしてそれらの骨格図は概念図と言えるかも微妙な代物へと育っていったのである。

 これらの骨格図は、ロックがどうのこうのは別としてポールの骨格図が元来持っていたはずの「うれしさ」(業界用語)は一切合切失われていた。全盛期のポールが削り出すようにして描いていた化石のラインはそこには残っておらず、そして骨格要素の寸法も何も実際とかけ離れたそれは、事実上何者の骨格図でもなかったのである。そしてポールの骨格図では究極的には添え物でしかない黒塗りシルエットの話をしたところで、そこに意味は何もなかった。

 

 このころ暇を持て余した筆者は、造型はやめてマイナーどころの骨格図を濫造する方向に舵を切っていた。濫造とはいえマイナーどころのチョイスの評判はわりあいによかったらしく、またマイナーどころを描くためにメジャーどころ――かつてポールが描いていたものたちを筆者なりにアップデートすることもしばしばであった。果たして骨格図は積み上がり、ついでに骨格図のおまけで集まってきたもろもろの書き綴りも珍しがられ、色々なところから声をかけていただける身分にはなっていたのである。

 このあたりの話は本ブログの古参読者の方には見ていただいていた通りである。かくして筆者の描いた骨格図は様々なところで使っていただける運びとなったが、これはまさしくポールの骨格図――全盛期のそれの愚直な手法を引き継いだものであった。

 もちろん、ポールの全盛期――80年代後半から90年代と今とでは、時代が全く異なる。研究は飛躍的に進み、そして資料は比べ物にならないほど豊富に、かつ大半はたやすく手の届くところに置かれているのだ。であればこそ先駆者(ポールだけに限らない)の手の届かなかったところまできちんとさらってみせるのがなによりの敬意の表し方であるし、その中で改めて先駆者の偉大さに震えるところでもある。ポールの骨格図が世に出て30年以上が過ぎた今なお、――3Dモデルを組み上げた復元画像が論文に掲載されるようになってなお、本来の「ポール式」骨格図はまだ一定の「うれしさ」を留めているのだ。

 

 いつも通り、ここまでがすべて前置きである。かくしてすったもんだの末に(裏で渦巻いていたもろもろの策謀はそのうち話す機会もあるだろう)筆者はを書くことになり、特に悩みもせずにそのままのタイトルを選んだ。少なくともポールほどロックを奏でる腕はないし奏でる気もないのだが、しかしそれでも無我夢中でむかわ竜の骨格図を描くうち、クライアント――本書の監修に入っていただいた――にはなにかしらを与えることができたらしい(絵描きの戯言と思わず耳を傾けてくれたということでもある)。

 科学を加速させるのが古き時代のサイエンスイラストレーションであったし、今日でもそれは変わらないはずである。ロックはもう死んだきりかもしれないが、だとして筆者はただ藪を漕いでいくだけである。

 

(物量を重視した本を作るつもりではなかったのだが、とはいえ恐竜の目ぼしいグループをカバーしつつ、かつ近しいうちでのプロポーションの違いも押さえようとした結果、A4変型判で152ページ、全177種というそれなりのボリュームとなった。ろくに描いていなかったグループをことごとく描いたということでもあり、なんだかんだ描きおろしも結構な割合である。まともな復元が事実上全くなされていなかったグループも(様々な思惑のもと)一挙に描いていたりもして、このあたりはぜひ楽しみにしていただきたい。同人誌よりも安くて大ボリュームな商業作品というのもなかなかな気はするのだが、とはいえ実際よくある話であろう。)

 

 

 

 

 

U.S.トロサウルスはトリケラトプスなのか?

f:id:RBOZ-008:20220302165036j:plain

↑Selected specimens of "Lancian" Torosaurus. EM P16.1 is dorsoventrally flattened.

 

 トロサウルス属の独立性についての議論が活発だったのは最初の数年のうちであり、ここ7、8年は表向きだいぶ沈静化していた(スキャネラが「Triceratops sp.」というよくわからないラベルでいわゆるトロサウルス・ラトゥスを括るという動きに後退していたのも大きい)わけである。既知のトロサウルス属の標本の詳細な再記載が積極的に行われたわけでもなかったが、一方でデンヴァーDenver層からきわめて保存のよい(そしてあからさまに頭蓋の癒合が進んでいない)トロサウルス・ラトゥスと思しき部分骨格も発見され、記載を待っている状況でもある。

 こうした議論に供されたトロサウルスの化石はいずれもアメリカ産のものであり、カナダ産の標本――本ブログの立ち上げ当初からしばしば取り上げてきたサスカチュワンはフレンチマンFrenchman層産のEM P16.1や、まったくの未記載であったアルバータはスコラードScollard層産の標本について特別な注意を払われることはほとんどなかった(ポールがEM P16.1をトリケラトプス・プロルススの老齢個体として取り上げたりはしたのだが)。EM P16.1は凄まじく保存が悪いうえに石膏その他で相当な上塗りをされており、さらに言えばその妙な形態――トロサウルスにしては妙に鱗状骨の幅が広かった――から、アリノケラトプスとの関連さえ真剣に疑われていたのである(このあたりの経緯は過去記事やら同人誌を参照)。

 実のところこうした状況の裏でEM P16.1の再プレパレーションはとっくに進められており、さらに言えば(博物館に収蔵される前の洪水で)失われたとされていた左右の大腿骨も(だいぶ砕けてはいたが)収蔵庫に眠っていたことが確認された。かくして、スコラード層産の未記載標本UALVP 1646とともにEM P16.1.は現代的な検討に初めてかけられることとなったのである。

 

 上塗りを引っぺがしてみれば、EM P16.1.をトロサウルス属以外とみる理由は全くなさそうであった。かねてから指摘されていたことでもあったが、フリルの正中バーは完全なアーティファクトであり、トロサウルス属としては異様に大きいとも言われていた頭頂骨窓の輪郭は全く保存されていなかったのである。鱗状骨がアリノケラトプスや“トロサウルス”・ユタエンシスと同様かなり幅広であることは間違いなかったが、一方でその形態はMPM VP6841――ヘル・クリークHell Creek層下部よりも上の層準(厳密な層準ははっきりしていないが、中部以上であることは確かなようだ)から産出したもので唯一、トロサウルス・ラトゥス(あるいは少なくともcf.扱いで)とされてきた巨大な角竜と酷似していたのであった。

 

 MPM VP6841の研究は前肢を除いてほぼ手つかずではあるが、それでも散発的に記載が行われており、表面のテクスチャー(粗面ではなく細かな条線が発達する;ケラトプス科の未成熟個体でお約束である)から、どうもフリルが活発な成長の途上にあるらしいことが(当のスキャネラとホーナーによって;複数のトロサウルス・ラトゥスからこれが見出されており、スキャネラらはこれをトリケラトプス段階から急激にフリルが伸長することの証左とした)指摘されていた。これはEM P16.1でも同様で、しかも(と言うべきなのか当然と言うべきなのか)その大腿骨の組織は(大腿骨長が本来1.1mはあったらしいにもかかわらず)老齢個体のものでないことを示唆していた。

 MPM VP6841にせよEM P16.1にせよ頭頂骨の保存はかなり悪く、縁頭頂骨の数を厳密に決定することはできない(後者はそもそも癒合していなかったようでもある)。とはいえ、もろもろの点からして両者の縁頭頂骨は4対8個(EM P16.1は9個の可能性もあるが、いずれにせよep0を欠く)――ランス層やヘル・クリーク層の下部から産出する「典型的な」トロサウルス・ラトゥスの5~6対と比べると少ないことは確かなようである。

 

(ランス層産のトロサウルス・“グラディウス”YPM 1831では縁頭頂骨は8対16個とも推定されているが、この標本も保存が悪い(そもそも縁頭頂骨は残っていない)うえに上塗りが壮絶であり、このあたりについては現状深く考えない方がよさそうだ。“トロサウルス”・ユタエンシスはやや短めのフリルをもつ一方で鱗状骨バーを完全に欠き、かつep0をもつらしい点でMPM VP6841やEM P16.1とは明らかに異なる。)

 

 これまで記載されることのなかったスコラード層産の標本――UALVP 1646はひどく部分的な頭頂骨であり、突っ込んだ議論に供せるものではない。とはいえep0を欠きつつ頭頂骨窓(本標本の場合はかなり小さいようだ)をもつそれは、明らかに(いわゆる)トリケラトプスではなかった。

 

 そもそもスキャネラとホーナーによる意見――トロサウルストリケラトプスの老齢個体とみなす意見が(画期的ではある一方)相当に乱暴な話であることは散々指摘されていたが、カナダ産トロサウルスの再記載を行ったマロンらもこれに追随した(そもそも、角竜メインの研究者がこの意見を支持することはこれまで特になかった)。EM P16.1にせよUALVP 1646にせよep0の存在は全く確認されず、そして(少なくとも)前者はスキャネラらの言う老齢個体ではありえなかったのである。

 依然としてEM P.16.1は断片的かつ保存のよくない標本であり(UALVP 1646は言うまでもない)、これの観察結果のみをもってトロサウルスの独自性に関する議論に決着をつけることは(マロンらが明記しているとおり)不可能である。とはいえこれまで謎の存在でもあったカナダ産の2標本がトロサウルスであることは確実となり、かつ「老齢個体ではない」トロサウルスの例を一つ追加した格好でもある。

 

 マロンらは(当然)慎重な姿勢を崩さなかったが、ヘル・クリーク層の上半とその同時異相となるフレンチマン層(のおそらく上部)の双方でトロサウルス・ラトゥスとはすんなり同定しがたいもの――鱗状骨が幅広(フリル全体は上の骨格図のようにかなり短くなるだろう)かつ縁頭頂骨の少ないトロサウルスが産出したことは、あるいはひょっとすると白亜紀最後の100万年ほどの期間にトロサウルスの未記載種が存在した可能性を示している。MPM VP6841にせよEM P.16.1にせよそのフリルは成長途上にあり、老齢個体では(より古い時代の典型的な)トロサウルス・ラトゥスと同様の長いフリルとなる可能性はあるが、一方で(スキャネラらに対する批判として常に言われる通り)縁頭頂骨の数がその過程で突如増加するとも考えにくい。この問題も当然標本の少なさがネックになる話であるが(MPM VP6841にしても顔面はほとんど残っていない)、裏を返せば標本数の増加とともにはっきりした答えが見えてくるはずでもある。

 

トリケラトプスでは縁鱗状骨の個数は(縁頭頂鱗状骨を除いて)5~(おそらく)7個と変異がある一方、既知のトロサウルス・ラトゥス(MPM VP6841を含む)ではいずれも7個のようだ。トリケラトプスではフリルの相対的な長さとある程度相関がありそうではある。トリケラトプス・プロルススは概してトリケラトプス・ホリドゥスよりもフリルが短く、上述のトロサウルスの話と何かしらの関連を見出せなくもない。)

 

 ともすればマロンらの意見は慎重に過ぎるように思えなくもないかもしれないが、とはいえこれが古生物学――研究者がひどく不完全な四次元情報を(公的な文献の上で)扱う上での礼節のようなものの本来ではある。研究者コミュニティのコンセンサスを得ることが一筋縄ではいかないのは当然のことであり、長い足踏みを経ることも珍しくはないが、トロサウルスの次の研究はとっくに始まっているはずである。

 

ティラノサウルス全てのメメント

f:id:RBOZ-008:20220301132115j:plain

↑Skeletal reconstructions of Tyrannosaurus rex.

Bottom to top, FMNH PR 2081 (SUE; holotype of Tyrannosaurus imperator);

CM 9380 (holotype);

USNM PAL 555000 (Wankel Rex; holotype of Tyrannosaurus regina). Scale bar is 1m.

 

 The Princeton Field Guide to Dinosaursの初版(2010年)では特に何もせずそのままにしていた一方、第2版(2016年;邦訳されたのはこちらのバージョン)で突如ティラノサウルス・レックスを3種(肉食恐竜事典の時とは異なり、さすがに命名まではしなかった)に分割して読者の度肝を抜きつつも、「いつものポール」として納得させたポールである。第2版が出る前に実のところこういう話もあったりして、そのあたりの経緯を踏まえたらしい話ではあった。

 この話の音沙汰はそれきり聞こえず、BHIのごたごた(とその結果としてのスタンの売却)やらもある一方、2020年にはティラノサウルスの成長に伴う形態変化に関する大著がカーによって出版されていたわけである。結局ティラノサウルス・レックスの“がっしり型”と“きゃしゃ型”からなる性的二形は認められず、いわゆるティラノサウルス・“エックス”――性的二形の話とは別に、ティラノサウルス・レックスを2種に分割すべきという(ラーソンやバッカー以外からは特に顧みられなかった)意見もここで一蹴されていた。

 

 ひるがえって、ポールを筆頭に(かといって生層序に強そうな著者が共著で入っているというわけでもない)出版された問題の論文(本文はポールのサイトで読める;SIはフリー;洒落にならない誤字が割とある)は、恐竜フィールドガイド第2版の意見をそのまま査読論文として完成させた格好であった。ティラノサウルス・レックスをその形態(と時代)に基づき3種――ティラノサウルスインペラトルティラノサウルス・レックスそしてティラノサウルス・レギナに分割したのである。

 ポールらの意見は、つまるところ従来言われていた(そしてやんわり完全否定されていた)「ティラノサウルスの性的二形」と「ティラノサウルス・“エックス”」とを、生層序学的な観点と組み合わせたものであった。ティラノサウルス科では歯骨の最前方に「切歯状(あるいはノミ状)incisiform」(前後幅より左右/唇舌幅の方がずっと広い)の歯をもっているが、ティラノサウルス・“エックス”は第1歯骨歯に加えて第2歯骨歯まで「切歯状」であると言われていた。

 このあたりの情報を組み合わせると、ポールらの弁ではティラノサウルス・レックスを3種に分割可能ということになる。曰く、

 

ティラノサウルスインペラトルTyrannosaurus imperator

時代:相対的に最も古い

歯骨前方の「切歯状」の歯:2本(“エックス”型)

体型:“がっしり型”(“メス”型)

主な標本:“スー”(FMNH PR 2081;ホロタイプ)、“トリスタン”(HMN MB.R.91216)、“Bレックス”(MOR 1125)、“バッキー”(TCM 2001.90.1)

 

ティラノサウルス・レックスTyrannosaurus rex

時代:T. インペラトルより新しい(T. レギナと共存)

歯骨前方の「切歯状」の歯:1本(レックス型)

体型:“がっしり型”(“メス”型)

主な標本:CM 9380(ホロタイプ)、“スコッティ”(RSM P2523.8)?、NHMUK R7994(“ディナモサウルス・インペリオスス”のホロタイプ)?

 

ティラノサウルス・レギナTyrannosaurus regina

時代:T. インペラトルより新しい(T. レックスと共存)

歯骨前方の「切歯状」の歯:1本(レックス型)

体型:“きゃしゃ型”(“オス”型)

主な標本:“ワンケル・レックス”(USNM PAL 555000;ホロタイプ)、“スタン”(元BHI 3033)、“ペックス・レックス”(MOR 980)、“ブラック・ビューティー”(TMP 81.6.1)

 

 と、ざっとこのようなことになる。AMNH 5027は四肢を欠くために“がっしり型”か“きゃしゃ型”か判別できず、産出層準もはっきりしないため、(かつて“エックス”の筆頭ではあったが)種不定とされた。また、いわゆる「ナノティラヌス」は属種不定ティラノサウルス科とされている。

 ざっくりそれぞれの違いをまとめてみれば、それぞれが非常によくまとまった/合理的に分かたれた種であるように見えるのは当然のことである。“がっしり型”と“きゃしゃ型”を明確に分けることはできないという話はカーが最近述べた通りで、化石の変形の影響でそもそも真っ当な計測を行うことが難しいという話は90年代当時からよく指摘されてきたことでもある。「切歯状」の歯の本数については実のところポールらの論文の中でも種内変異を認めており、少なくとも現状で明確な何かしらを言うことは(かねてから言われていた通り)難しいだろう。産出層準の議論については恐ろしくふわふわした話に留まっており、各標本の産出地点をきちんと比較したという話ではない(しかも多くの標本は“歴史的”な代物であり、産地の再訪は必須と言える)。成長段階についてカーほど精査していないという話はおまけにもならないだろう。

 ティラノサウルス・レックス(には当然とどまらない)の各標本で様々な違いがみられることは端から知られていた話であり、小学生ですら知っている話ではある。ここにいかなる科学的な説明を加えるかが問題になってくるわけだが、そのあたりポールらの論文はわりと問題外の代物である。

 

(新種の記載を行っているわけなので当然独自性についての簡潔かつ明確な説明が求められるわけだが、論文のおしりにまとめられたそれはgenerallyとusuallyの連発される代物であった。卒論ですらだいぶ赤が入る;種内変異がみられることは当然の話なのだが、つまり分割した種の種内変異が他の種と重複しているという話でもある。)

 

 トリケラトプス属は種の変遷に関する理解が相当に進んだこの10年あまりであるが、これはそもそも明確に分けられる2種があり(それでも中間型がかなり以前から知られていた)、現代的な手法でもって広範な地域(それでもヘル・クリーク層の分布域の一部に限られている)から多数の新標本を得た(既知の標本についても産地の再訪に努めた)結果である。

 なんだかんだ言っても(一般に言う)ティラノサウルス・レックスは白亜紀最後の200万年ほどにわたって比較的広い地域で栄えた種ではあり、今日の生物学者をその数百万年間の中に送り込めばそこから数種を見出すことができるかもしれない。とはいえ、それがポールらの言うティラノサウルスインペラトルティラノサウルス・レギナに相当するかどうかは全く別の話である。

 ティラノサウルスのこのあたりを巡る話は常にくすぶっているものであるが、こうした状況を一歩前に進めるには、既知の産地の徹底的な再訪なり、(このあたりの議論に供せるレベルの)新標本の確保なりが必須である。収蔵庫巡りだけで何かを言える場合は必ずしも多くはなく、そして標本リストのスタンの前に掲げられた「ex」がすべてを物語っている。

 

◆2022.7.26追記◆

 当初から散々な評であったポールらの分割案であったが、半年も経たずにそうそうたる著者によるコメントが出版された。浮足立った古生物クラスタの脇腹に針を刺して引く抜くような書き口でもあり、ひたすらに(筆者ですら上の記事で延々書き綴った)「一般論」を丁寧に述べている(本来ポールらがきちんと示しておくべきであった図表の類まできちんと載せている)格好である。スタンの詳細な記載がなされたところでひっくり返るような話ではないことは強調してもしすぎることはないだろう。

 

 

 

空と海と大地と呪われし××

 しばらく前にこんな話を書いたわけだが、どっこいこういう話も聞かれていたわけである。翼竜フィールドガイドはいつの間にやら試し読みページができあがっていたりしたのだが、一方で海生爬虫類フィールドガイドの書影も上がってきた(しかも発売予定は今秋)のであった。

 

 ポールの翼竜の骨格図といえば恐竜骨格図集の巻末が思い出される筆者であるが、試し読みページに残る面影はプテロダクティルス・“コキ”のバストアップくらいである。ディモルフォドンはともかくクテノカスマに妙な不安を覚えたのは筆者だけではないはずだ。

 邦訳も出た恐竜フィールドガイドの方はそれなりに全盛期のポールの香りも残っていた(が、邦訳された第2版の方は、第1版と比べるとこのあたりはだいぶ改悪されていた)わけだが、翼竜はそもそも全盛期のポールがあまり描いていないはずの題材である。ウィットンの一般書を見れば明らかだが、翼竜は2000年代に入ってから骨格図を描けそうな面子がずいぶん増えた(その大半が中国組である)。これはつまり、翼竜フィールドガイドに掲載されるかなりの数がロックが死んで以降のポールの産物であろうことを意味している。シノプテルスを見てちょっと悲鳴を飲み込んだ筆者でもあり、このあたりは(先日満を持して出版されたケツァルコアトルスのこともあり;索引にはケツァルコアトルス・ノースロッピのほかに「Quetzalcoatlus unnamed species」と「Javelinadactylus sagebieli」の文字が見える)よく心を落ち着けて向かい合うべきなのだろう。

 翻ってなおのこと未知数なのが海生爬虫類フィールドガイドである。ポールの海生爬虫類と言われてぱっと思いつくのは恐竜フィールドガイドに出ていたショニサウルスの骨格図くらいで、他のものは特にピンとこない今日この頃である。海生爬虫類の骨格図は(しばしば全長うんたらの話のネタとしても)わりあいにネット上でも見かけるものだが、たいがいの場合図画的な鑑賞に堪えるものではなく、椎骨のコピペぶりなどはクダを巻くのに格好のネタでさえあった。であればポールの出番は大いにあるはずなのだが、ここで海生爬虫類の骨格図の未知数ぶりがネックになってくる。

 とはいえ、書影を見る限り、むしろ海生爬虫類フィールドガイドの方が翼竜フィールドガイドよりも安心感の持てる雰囲気である。べしゃべしゃに潰れた長骨を適当に補正して描くほかない(そもそもパーツも少ない)翼竜と比べれば、潰れていても各パーツの相対的なサイズが翼竜よりもずっと小さい海生爬虫類の方が(正統な)ポール式骨格図とは本来相性がよいということだろう(つまり、ポール式骨格図のディテールの密度の話でもある)。

 

 立て続けのポールの新作ということで、にわかに骨格図めいてきた本年である。幸か不幸か、ポケモン化石博物館が1年ずれ込んだのがここにきて効いてきているようでもある。

 ポールの新作を手放しで喜べないのは恐竜フィールドガイド第2版同邦訳発売の時と同じ(それ以上というのが実際である)だが、ともかく価格は良心的であり、出来のよしあし(あるいは思想の問題でもある)はさておき包括的なレビューにも違いない。筆者としてはこのところずっと進めているもろもろと日程が被らないらしいことに安堵していたりはするのだが、そういうわけでロックの死んだ後の世界を歩いていくほかないようだ。